いぬと気功

気を観ること、そしてバランスを整えること。それは人に対しても、わんちゃん猫ちゃんなどの動物に対しても、同じように観ることができます。

先日、我が家のニコ(もうすぐ9歳のチワワです)に気功をしてみました。

思えば、じっくり気を観る、ということは、どこか調子を崩した様子の時にしかしていませんでした。一昨年ウチに来てから、まだ数えるほどかも。

日ごろからのケアをあらためて見直してみようと思いみてみると、全体的にびりびりざわざわしています。そして上半身に気が上がり、詰まっている様子でした。

とくに肺。そして肝・腎。そのあたりを重点的に、エネルギーを入れて、和らげて、拡げていきます。すーっと通りが良くなり、全体的にも落ち着きがでたところで終了です。

翌日も同じようにみてみたところ、だいぶ落ち着いていて、気のバランスも良くなっているのを確認しました。変化がみられてよかったです。

 

このように、なんらかの症状として不調が顕れるよりも前に、気の状態からみえることがあります。また不調として顕れている場合にも、気の状態をみて、そこからアプローチすることができます。

バランスが崩れていたら、整える。崩れたバランスがまだちいさなうちにケアすることも、大切ですね。

そのためにわたしが今できることは、気を観ること。そしてその気の状態を、調和した状態へと整えること。「気(生命エネルギー)」という観点から、健やかさをサポートしています。必要な時には、どうぞお声がけください。

 

 

 

 

遠隔でのクラニオセッション

ラニオセイクラルというボディワークをされている方で、いつか施術を受けたいと思っていた方がいます。

対面での施術がむずかしくなった今の状況のなか、その方が遠隔のセッションをはじめたことを知り、すぐにお願いをして先月受ける機会がありました。

いちばんは純粋に、施術を受けたいという気持ち。

それともうひとつ、基本的に身体に触れておこなうボディワークを遠隔でされるということにとても興味を持ったことも、施術を受けるきっかけとなりました。

 

セッションはオンラインで対面することはなく、メールのやりとりをして、あとは静かに横になって時間を過ごすという流れでした。

受けている間は自分の内側の感覚に意識を向けながら、「あぁ、目の奥や顎の緊張が強いな」とか「だんだん左側の詰まりがとれて、流れる感覚があるな」など。とても些細で、見逃してしまうくらいの感覚をひとつひとつ丁寧に拾っていきます。そのうちぼんやりして、顎が緩んで、自分の内側も外側も、とても静かで穏やかな空間に包まれているような居心地の良さを感じて終了となりました。

 

しばらくごろごろしてから起き上がり、日常に戻ります。

するといつもと同じ動作をしているのに、自分のなかに流れる時間のペースがとても落ち着いていることに気づきます。

これはクラニオを受けたときに感じる感覚そのもの(わたしの場合は、です)。

この、静けさにつながる感覚がわたしはとても好きです。

 

対面でできなくなってしまったことも多いけど、遠隔だからこそ距離を気にせず気軽に受けられる良さもあることをあらためて実感しました。

そして「受ける」と意図しさえすれば、日常と地続きの時空間のなかでもしっかりと「自分を感じる時間」として働きかけてくれるのだということも。

 

良い体験でした。

こうして、物理的な距離を超えて繋がることができる機会が増えて、以前とはまた違った拡がりを感じることの多い今日このごろです。

 

 

 

節目のときに

このところ、日を追うごとに深まっていく心境の変化。

 

なにか大事な節目のような気がして、今日は灯台屋店主のまるおかさんにセッションをお願いしました。

 

自分の奥から衝動のように強く沸いてくる想いと、これまでのこと、今後のこと。

さまざまな視点からのフィードバックをもらいながらお話ししていると、今感じていることや進む方向に、より確信を持つことができました。

あとからメモを振り返ってみると、今後の指針となるキーワードもたくさんありました。迷ったとき、悩んだときには見返して、前に進むチカラにしていこう。

 

こんな場なので…ときにはぐずぐずした弱音もだだ漏れながら話を聞いてもらったのですが。

そんな弱気なことばを語っている自分と同時に、もうひとりの自分が「もうそれ聞き飽きた!耳タコ!!」と内側から叫んでいるのも感じていました。

ぐるぐるとはまり込む思考の癖に、自分自身が心底うんざりしていることにも気付きます。

もう必要のない思考パターン、いつまでも大事に抱え込むことはないですね。行動することで、書き換えていこうとおもいます。

 

セッションを受けて感じたのは、言葉にすることで意識がより具体的になり、余計な迷いが削ぎ落とされて、やるべきことが明確となること。肚落ちして、覚悟が決まる。

そしてニュートラルな立場で話を聞いてもらえることの安心感と心強さ。

星(占星術)の視点からのアドバイスも、納得感が深まります。

 

手探り状態のなかで観ていたものがすっきりと整理されたことが嬉しくて。

おもわず美味しいおやつを買い、コーヒーを入れて、満たされた気持ちに拍車をかける(!)

 

受けてよかった。

これからも、ぼちぼちやっていきます♪

 

 

 

遠隔気功療法 * 施術のご紹介

先日、友人に遠隔の気功療法をする機会がありました。

本人の了承もいただいたので、その様子をすこし書いてみたいと思います。

何事もそうですけれど、起こることはひとそれぞれ。気の質、状態も個人差が大きいですし、同じ方でも毎回様子は違ってきます。

あくまでもひとつの例として、「気功って、いったいどんなことをしているんだろう?」ということへの参考になればと、ご紹介します。

 

* * *

 

今回ははじめに、背骨の経絡・ツボを観ながら調整をしていきました。

背骨に沿って通っている「膀胱系」の経絡には、内臓のツボが並んでいます。肺兪・心兪・肝兪…と順々にツボの様子を観ながら、気の不足しているところ、過剰なところ、詰まっているところ、などがあれば、調整していきます。

友人の場合は、胃のツボがとても弱い感じがあったので、気を入れて満たしていきました。また、心・肺が詰まっていたので柔らかく広げていきました。

全体的にアンバランスが調整されて流れが良くなったところで終了です。

 

次に、「腰を痛めていて、病院で軽いヘルニアと言われた」とのことで、腰椎を観ていきました。

尾骨・仙骨を通り、腰椎の第5〜第1まで、それぞれの骨に気を入れながら、スペースを広げていきます。

第5と第4の間、第4と第3の間…と順番に観ていくと、第3と第2の間が特に硬くこわばっていました。ゆっくりと気を入れながら、硬さを和らげていきます。なかなか動きがないため時間をかけていくと、しばらくしてその塊が一気に解け、内側に詰まっていたものが大量に抜けていきました。

どんどん出てくる詰まりが出切ったあたりでふっとゆるんで軽くなり、ちょうど時間もきたところで終了としました。

 

* * *

 

今回の療法はこのような感じです。

 

腰の詰まりがあまりに重かったので、もしかしたら好転反応が出るのではないかと思い、伝えました。腰の痛みが一時的に強く出るかもしれないこと、よくお水を飲んで、ゆっくり身体をやすめてね、と。

友人はとくに、なにかしら身体のケアを受けると好転反応がでやすいようで、よくわかっているようでした。(好転反応については、またあらためて書こうと思います。)

 

そしてその後の友人からの報告です。

 

やはり、直後は腰の痛みが強くでたとのこと。本人も、受けているときの様子でそうとう溜まっていることを感じていたので覚悟していた、とのことでした。

翌日には痛みや重さが取れて、とても楽になってきたそうです。

また、息をしやすくなった、とも言っていました。

身体のこと、もっと気をつけていこう、とも。

 

* * *

 

このように、気功療法では直接身体に触れないですが、肉体よりも奥、繊細で目には見えないけれど誰もが持っていて、それによって生かされている気(生命エネルギー)の領域に働きかけていきます。

気の方向性が変わると、やがて肉体にもそのようにあらわれてきます。

その方の身体の状態によって変化への期間もさまざまですが、もしもお悩みのことがありましたら、気の観点からのアプローチもひとつのよい方法となるかもしれません。

 

 

 

香りのちから

以前、クロアチアのお土産にと母からもらっていた精油を思いだし、ようやくキャップを開けてみました。

ラベンダーとローズマリー精油クロアチアはラベンダーが有名なのですね)。

あまりあれこれ使いこなすタイプではないので、ときたま使っている精油がなくなってから開けようと、置いておいたのでした。

 

キャップを開けると、とてもパワフルでいい香りにおどろきました。

その場の空気がパッと変わり、自分のなかにも、すーっと澄んだ空気が入り込む。

 

家にこもっている毎日で、気をつけてはいても知らず知らずのうちに、空気が重くなってしまいます。

 

こまめに換気をしたり身体を動かしたりするのも大事。そして香りのちからもまた、気持ちを切り替えるのにとても良いですね。

 

心も身体も凝り固まらないように、息が詰まらないように。

より一層、工夫をする日々です。

 

 

 

日日是好日

日日是好日」という映画を観ました。

主演の黒木華さんが、樹木希林さん演じるお茶の先生のもとでお稽古をはじめてからの25年間を描いたお話。

 

わたしがこの映画の原作となる森下典子さんの本に出会ったのは、もう15年以上も前だったと思います。会社勤めをしていて、いろいろと行き詰まっていた20代。

そこに描かれているお茶の世界観に、とても魅了されたことを覚えています。

 

映画でも語られていましたが、まえがきの文章のなかに、このような記述があります。

 

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世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。

すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、(…略…)何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しづつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。

そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。

「お茶」って、そういうものなのだ。

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この文章に、いまでも心惹かれます。

すぐにはわからないもの、時間をかけてわかっていくもの、そういうものにじっくりと取り組むことへの憧れが、強くありました。

 

その時は結局お茶の世界に触れることすらなかったのだけど、ずいぶん時が経ってから出会った気功はまさに、わたしにとって「すぐにはわからないもの」に取り組む「道」となりました。

 

わたしの取り組んでいる気功法は、「站とう功」という、立禅の功法を基本としています。

はじめた当初は決まった型で立つだけですぐに身体が痛くなり、正直「気」だなんてなんだかさっぱりわからないし、ただただじっと立つことにほんとに意味があるのかな、というかんじ。

それでも、よくわからないながらも練習を繰り返すうちに、自分のなかに確実な何かが1滴1滴と、満たされていくのを感じていました。

わからないけど、何かがかすかに変わっている、という手応え。これが「気」というものなのかもしれない、という気づきの積み重ね。

それがたのしくて日々練功を続けているうちに、気づけば7年が経ち、毎日3時間ほど立てるようになり、消耗しきってぼろぼろだった身体は、以前と比べると、ずいぶん元気になりました。

 

当時わからなかったものがいつしかわかるようになって、でもそれもきっと全体の中のほんの断片にすぎないのだろうな、と思っているこの感じが、とてもおもしろいのです。

終わりがなく、探求しがいがあります。

 

気功って地味だし、ヨガみたいにおしゃれな感じもないし、傍目にはなにをしてるのかもよくわからないし。

それでも、内側に拡がるせかいの奥深さ、繊細さ、パワフルさに出会うたびに、感動するのです。

 

5年後、10年後と、どんな景色が見えるのかをたのしみに、今日も淡々と練功にはげんでいます。