香りのちから
以前、クロアチアのお土産にと母からもらっていた精油を思いだし、ようやくキャップを開けてみました。
ラベンダーとローズマリーの精油(クロアチアはラベンダーが有名なのですね)。
あまりあれこれ使いこなすタイプではないので、ときたま使っている精油がなくなってから開けようと、置いておいたのでした。
キャップを開けると、とてもパワフルでいい香りにおどろきました。
その場の空気がパッと変わり、自分のなかにも、すーっと澄んだ空気が入り込む。
家にこもっている毎日で、気をつけてはいても知らず知らずのうちに、空気が重くなってしまいます。
こまめに換気をしたり身体を動かしたりするのも大事。そして香りのちからもまた、気持ちを切り替えるのにとても良いですね。
心も身体も凝り固まらないように、息が詰まらないように。
より一層、工夫をする日々です。
日日是好日
「日日是好日」という映画を観ました。
主演の黒木華さんが、樹木希林さん演じるお茶の先生のもとでお稽古をはじめてからの25年間を描いたお話。
わたしがこの映画の原作となる森下典子さんの本に出会ったのは、もう15年以上も前だったと思います。会社勤めをしていて、いろいろと行き詰まっていた20代。
そこに描かれているお茶の世界観に、とても魅了されたことを覚えています。
映画でも語られていましたが、まえがきの文章のなかに、このような記述があります。
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世の中には、「すぐわかるもの」と、「すぐにはわからないもの」の二種類がある。
すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれど、すぐにわからないものは、(…略…)何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しづつじわじわとわかりだし、「別もの」に変わっていく。
そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。
「お茶」って、そういうものなのだ。
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この文章に、いまでも心惹かれます。
すぐにはわからないもの、時間をかけてわかっていくもの、そういうものにじっくりと取り組むことへの憧れが、強くありました。
その時は結局お茶の世界に触れることすらなかったのだけど、ずいぶん時が経ってから出会った気功はまさに、わたしにとって「すぐにはわからないもの」に取り組む「道」となりました。
わたしの取り組んでいる気功法は、「站とう功」という、立禅の功法を基本としています。
はじめた当初は決まった型で立つだけですぐに身体が痛くなり、正直「気」だなんてなんだかさっぱりわからないし、ただただじっと立つことにほんとに意味があるのかな、というかんじ。
それでも、よくわからないながらも練習を繰り返すうちに、自分のなかに確実な何かが1滴1滴と、満たされていくのを感じていました。
わからないけど、何かがかすかに変わっている、という手応え。これが「気」というものなのかもしれない、という気づきの積み重ね。
それがたのしくて日々練功を続けているうちに、気づけば7年が経ち、毎日3時間ほど立てるようになり、消耗しきってぼろぼろだった身体は、以前と比べると、ずいぶん元気になりました。
当時わからなかったものがいつしかわかるようになって、でもそれもきっと全体の中のほんの断片にすぎないのだろうな、と思っているこの感じが、とてもおもしろいのです。
終わりがなく、探求しがいがあります。
気功って地味だし、ヨガみたいにおしゃれな感じもないし、傍目にはなにをしてるのかもよくわからないし。
それでも、内側に拡がるせかいの奥深さ、繊細さ、パワフルさに出会うたびに、感動するのです。
5年後、10年後と、どんな景色が見えるのかをたのしみに、今日も淡々と練功にはげんでいます。